"甲"と"乙"は、一つの対義的関係。
"→"は、「実のところ」(検証)の意。
[現象]
1) 甲 → 甲
2) 甲 → 乙
3) 乙 → 甲
4) 乙 → 乙
[追加条件]
a. "→"以前のそれぞれ自身が、"→"以後の結果を意識しているかどうか?
b. "→"の結果、検証不能も在り得る。
c. "→"は、1回とは限らず、複数回行われることもある。
(例:甲→乙→甲)
結局、"→"以後、最後が大事なんだろう。
"最後"って、何???
キレイゴトかもしれんが、やっぱり、2)はイヤだな・・・。
2)の良さを語るには、どういう風だろう?
そもそも、2)をイヤがる僕がおかしいのか?
また、そういう自分自身は1)〜4)のどれだ?
それに・・・
はたして、この"図式"はまともか?
(相当ボロがあるだろう・・・。)
あまりの蒸し暑さに、アタマをヤられちまったようだ。
混乱しやすい?
バカが無理するな、ということか。
意味不明だったら、すみません。
スルーしてください。
この一週間、いろいろと"思うこと"が多かったもので。
もし何となく伝わった方で、"ちゃんとした"知識をお持ちの方がいたら、ぜひご説諭くださ〜い。
(答えを知ったとて、僕の野暮は直らんだろうが・・・。)
ちなみに、記事タイトルは、ある深夜ラジオのハガキコーナーより借用。
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小学校低学年の頃、僕の両親は共働きだったので、晩飯は、近所だった祖父の家で食べていた。
祖父の家は、東京下町の釣り餌屋。
周りは、釣具屋とか船宿ばかり。
(当時はまだ、屋形船など無かったと思う。)
ちょびっとだが、手伝いなんかもしたなぁ。
餌のパックを包む新聞紙を切ったり、祖母の買い物を手伝ったり・・・。
学校が終わると、そんな具合に、勤めから帰る母を待っていた。
とにかく子供とって、あまりに刺激の無い、「退屈な時間」。
何かと生活サイクルの早い、年寄り夫婦のこと。
夕方5〜6時には、もう晩飯だったな。
畳に卓袱台、そして、まだリモコンなど無いテレビ。
ガツガツと飯を貪る僕の横で、チビチビと晩酌を嗜む祖父。
テレビは、見てるんだか見てないんだか、換えれば怒る"相撲中継"。
(確か、その頃の千代の富士の廻しは、まだ青色。)
会話が弾んだ記憶は、あまり無い。
ヌカ漬臭い、年寄り住まいの、何とも「退屈な時間」。
その祖父は、太平洋戦争・陸軍南方戦線からの帰還兵。
瀕死の重傷を負って、遺体の山と一緒に積まれていたところを、偶然アメリカ兵に発見されたらしい。
僕の母は、戦争から帰還後の子。
僕は、その母の子。
どうやったら子供ができるのか、僕が正確な知識?を得たのは、たしか中学生の頃。
祖父の家、"畳に卓袱台"の晩飯を、「退屈な時間」などと呼んではいけないのだろう。
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E.Pieranunzi: The Chant Of Time