http://youtu.be/-uwuwBEWVyE
この夏は、人から依頼された編曲の仕上げ作業に大半を費やした。
内容は、讃美歌のアレンジ、歌と小さなアンサンブルのためのもの。
自分の演奏活動やその他野暮用もこなしながらだったから、けっこうキツかった。
やっとブログを更新する余裕ができた。
(「つぶやき」は間断なく続けていたが・・・。^^;)
作曲・編曲の仕事をする時、いつも頭を過ぎる言葉がある。
「要領・効率」
【要領】よう‐りょう〔エウリヤウ〕
1 物事の最も大事な点。要点。「質問の―がはっきりしない」
2 物事の要点をつかんだ、うまい処理の仕方。「―が悪くてなかなか覚えない」「―よく話をする」
【効率】こう‐りつ〔カウ‐〕
1 機械などの、仕事量と消費されたエネルギーとの比率。「―のよい機械」「熱―」
2 使った労力に対する、得られた成果の割合。「―のよい投資」
〆切が見えているのに、なかなか作業が捗らない時など、必ずこのことを考える。
私の作曲・編曲のやり方は、まずはピアノに向かいながら何となくのスケッチを作っていき、ある程度話が進んだら、ピアノやシンセで多重録音して聴いてみる、この繰り返し。
ピアノでのスケッチ作成に関しては、捗るも捗らぬも神のみぞ知るみたいなもんだから、要領もヘッタクレも無い。
ただ、スケッチを録音しての客観化については、かつて打ち込みを使ったりして、要領・効率を図ったことがある。
何しろこの録音確認、一発で当たりが出ることなど、そうはないからだ。
自分の中の漠然とした音のイメージを具体的に時間を持った音群に変えていく時、ほぼ必ず両者の間に誤差が生じる。
だから、この録音確認作業では、「三歩進んで二歩下がる」状態以下に陥ることしばしばだ。
このような「書いては消し」の繰り返しでは、何度もレコーダーで録音するより、打ち込みを使ったほうが楽だ。
だって、音源の修正が可能だから。
録音だと、演奏をしくじってやり直しってのもあるし。
実際、大学時代後半からしばらくは、打ち込みを使っていた。
打ち込みの使用によって、確認作業の際のいろんなストレスが解消されて、作曲・編曲が以前よりスムースに進むようになったような気もしていた。
作業の効率化。
しかしこの効率化、馴れていくにつれ、作曲・編曲の内容に悪い影響を与えるようになった。
私個人だけの現象かもしれないが。
それは、いわゆる「身体性の欠如」だ。
打ち込みでの確認に馴れていくと、次第にピアノによるスケッチの作成が雑になってしまった。
だんだんスケッチは省略して、いきなり打ち込んだりするようになる。
頭の中の音イメージを、身体的・肉体的プロセス(=演奏)をすっ飛ばして、音源化してしまう。
私にとって、これが良くなかった。
やはり身体動作を伴った生演奏の場には、安易なコピペや打ち込みによる機械的発音では計り知れない空気がある。
打ち込みでフレーズを貼り付けていくだけといった部分的視野に凝り固まると、一曲を通して演奏者がどういう立ち振る舞いをするか、全体が見えなくなっていく。
作曲者がそんな狭い料簡じゃ、その音楽に演奏者が気持ちを込められんだろう。
(実験的・挑戦的作品とかは、また別の話かも。)
曲を作っていく段階から、演奏行為が持つ身体性や即興性を踏まえて楽曲を編んで行かねば・・・。
20代後半に、このように青臭い?考えに縛られるようになり、以来打ち込みは一切止めてしまった。
(これは、打ち込みによる音楽の否定ではない。あくまで、限られたジャンルにおいて自分が作曲する時の方法としては、の話。)
演奏に限らず、作曲・編曲も、結局は自分の音楽的身の丈の範囲で表現しなきゃならん、ということなのだろう。
より大きい表現の望めば、毎日練習したり勉強したり、身の丈を伸ばす努力をするしかない。
そして、それはそう簡単には叶わないのが現実・・・。
おっと、ここまで話を進めてみたら、自分でも何を言っているのかわからなくなってきたので、もう止めます。
とにかく自分にとって、いい音楽を目指すということは、「要領よく」とか「効率的に」といった言葉の彼岸にある気がしてなりません。
p.s.
ただ、曲が完成した後の清書作業は効率化してもいいな、と現在考えてます。
Finare???
Sibelius???
あんまよくわかってませ〜ん。
詳しい方、よかったら、オススメのソフトなどおしえてください。
--
8/28(日) 22:00〜
“InTheHymn_TV”の第5回目を放送します!
この番組は、下記のURLでご覧いただけます。
http://www.ustream.tv/channel/inthehymn-tv
みなさん、ぜひご覧ください!